往生院について
寛永年間 1624年~1644年 報身寺2世 楽誉寂安により開創された浄土宗 鎮西派の寺院。
元和6年(1620年)時の角館城主 芦名義勝により角館町の町割りが行われ、少し遅れて往生院は創建されたと言われております。
角館 町人町の屋敷割図
享保21年 1736年
外町(町人町)の南側、東西に4寺院が並び 一番東側に位置する往生院。
数度の火災に遭遇していますが、明治15年の大火では伽藍、庫裏のすべてを消失し、十八世 貞強の代に伽藍、庫裏を再建し今に至ります。
しかし、明治の大火では境内の山門、観音堂、六地蔵、八幡神お堂なども消失し現在でも再建できていない状況です。
明治初めの境内図より
観音堂は1712年に杉宮 吉祥院五十九世が選定した仙北秩父三十四観音の11番霊場でした。
仙北西国三十三観音、仙北坂東三十三観音と合わ仙北百番観音として選定されましたが、今現在の活動は無く、選定されたほとんどの寺院が廃寺、又は明治の廃仏毀釈で神社となっています。
〇荒川青亭 筆塚
〇西国三十三所 巡礼 わらじ塚
〇地蔵堂
令和2年 合祀墓を建立致しました。
詳細は 合祀墓・分譲墓地 をご覧ください。